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2009.06.22 Monday

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湯治場にて 2

2004.10.18 Monday

旅行に出かける前の、パッキングが好き。

tonnel

これから出かける先の気候や旅の目的に合わせて、
スーツケースにあれこれと詰め込んでいく。
現地に友人がいれば、リクエストの品を調達したり
ビックリさせたりするプレゼントも詰めていく。
そんなことをしながら、出発の日を待つ時間も楽しい旅の一部となる。

が、湯治への旅はそうではなかった。
とにかく体がつらく、身の置きところがない状態だった。
バックに何を詰め込んだのか覚えていない…。

盛岡までの新幹線、秋も半ばという季節なのにクーラーがきつかった。
車掌さんを再三呼び止めて温度を上げるようにお願いした。
「他のお客様にとってはこの温度が適温だと思われます」

肌の炎症がひどかったサハラは、体温調整機能が低下しており
クーラーの効いた車両は寒すぎて、そのまま座っていることはできなかった。
郡山を過ぎたあたりから、ずっとデッキに出て立ったまま盛岡まで行った。

盛岡からローカル線に乗り換えて1時間20分。
駅には湯治先であるホテルのバスが迎えに来ていた。
家を出てから6時間以上が経過しており、
体全体の皮膚が乾燥し、きしんでいるのが分かった。
友人と合流しさっそく温泉に飛び込んで、全身を潤してようやくほっとした。

良くなった今になれば、あんなに遠くの温泉まで行かなくても、
もっと近場に同じような泉質の温泉があったのに、と思うことがある。
けれども、あの時は、
東京から遠く離れた山奥にある、あの温泉に行く必要があったのだと思う。

湯治は2週間程度を目安に滞在し、また2ヶ月くらいの時間をあけて繰り返す。
あまり続けて滞在しても温泉効能に体が慣れてしまい、プラス効果が低くなってしまうらしい。サハラは、湯治場までの行ったり来たりを1年以上続けた。

あとから知ったことだけど、転地効果ということがあるらしい。
例えば、標高の高い山の温泉へ出かけたとすると、気温は100m高く上がるごとに約0.6℃ずつ下がり、まず皮膚が寒冷刺激を受けて血行がよくなる。
また気圧も低くなるので、薄い空気の中で必要な酸素を取り込もうとして赤血球が増加する。そのため脈拍や呼吸数も増え、新陳代謝が高まることになる。環境変化が体の調子を整える働きを「転地効果」と呼ぶらしい。
温泉療養アドバイスセンター/自然がもたらす温泉の「転地効果」より抜粋】

あの湯治はサハラにとって、まさしく転地効果だった。
1人で行っていたら、きっと退屈したり不安になったりしただろうけど、
毎回友人たちとスケジュールを調整し、少なくても2人、多いときには4人で
一緒に湯治した。

原生林の紅葉や、野生の鹿との遭遇、はじめて見る巨大なツララなど
あの温泉に滞在しなければ体験できなかったたくさんのデキゴトが懐かしい。


そういえば、瀬戸内寂聴さんとの出会いも、あの温泉でのことだった。
頭のてっぺんから出ているのでは、と思われる特徴ある高音の声。
月1回、青空法話を行なっている天台寺にいらっしゃる時の定宿が
サハラの湯治先のホテルだった。
ひょんなことから、その青空法話後のサイン会を手伝うこととなり、
半日を一緒に過ごしたことがあった。
→ 次回へ続く
サハラ * アトピー * 15:54 * comments(0) * trackbacks(1)

湯治場にて 1

2004.10.14 Thursday

サハラの中でアトピーが猛威を奮っていた頃のこと。

MSM

寝ることも横になることもできなくなり、日常生活が壊れてしまった3月、20日間入院した。この病院では、隣室や向かい側の病室から聞こえてくる様々な機械音が怖くて、眠れぬまま20日間を過ごした。良くなったとは思われなかったが、入院していること自体、精神衛生上良くなかった。

4月中旬、姉の友人からの情報で秋田の山奥にある温泉へ行った。4月だというのにその温泉は雪に埋もれていた。まるで地の果てのような風景で 「こんなところまで来ちゃったなぁ。」 と、少し呆然とした。

結局そこの温泉はサハラにあわず
、数日間痛い思いをした。が、そこで知り合った人から 「盛岡にいい病院がある、一度行ってみるといい。」 と紹介され、温泉からの帰り道寄ってみた。先生いわく 「入院患者を紹介する。自分で面接をして話を聞いてみて、この病院の治療内容を聞いてみなさい。」 すべては自分で決めろ、という治療方針だった。

サハラは盛岡の病院に3ヶ月入院した。入院中、同病の友人ができた。アトピーについて初めて話が通じる友人ができたことが、イチバンの治療となった。入院中 「もう大丈夫!治った」 と思った。普通の生活に戻れると自分で判断したときが退院の時期だった。その病院は退院時期も自分で決めるのだった。

サハラは退院後、実家に戻り1ヶ月間海水浴をした。海水浴も温泉同様の効果があると言われていたからだ。まだ小学生だった甥や姪が毎日付き合ってくれた。

夏が終わり、サハラは仕事に戻った。完治したと思っていたアトピーは、東京に戻り1ヶ月も経たぬまに、また悪化した。しかも一気に。

崖から突き落とされた気分となった。かなりの時間を治療にかけたつもりだった。自分でも良くなったと思ったし、家族をはじめ周りの人たちも一様にホッとしていた。病院の先生も太鼓判を押したはずだった。「もう大丈夫」と。

アトピーは甘くなかった。半年くらいの治療で治る病気ではなかった。少なくとも、サハラのケースは治らなかった。生まれて初めて 『絶望』 という感情がサハラの中に渦巻いた。これから先、どうすればいいのだろう。するべき治療は全てしたはず。
サハラにはもう、残されたカードがないように思えた。

そんな時、盛岡時代の入院仲間から電話が来た。
「体調はどう? えっ、わたし?わたしは今、湯治に来ているの。」
サハラは自分の不調を訴え、すぐに湯治に合流することを伝えた。

世の中に偶然はない。誰かが呼んでくれたんだ。
きっと、まだ大丈夫だ。きっと。
サハラ * アトピー * 12:23 * comments(4) * trackbacks(0)

俯瞰してみる。

2004.08.18 Wednesday

【俯瞰(ふかん)】高い所から見下ろし眺めること。

秋田にあるアトピーによく効く(と聞いていた)温泉へ湯治に行った時のこと。
1日目。「ギャ〜、痛い!」、刺激が強く肩まで浸かることなどできないほどの激痛。
それでも「ここで治らなければ、他に手立てがない」と思いつめていた時期だったから、2日目も3日目も我慢してその温泉に浸かっていた。

全身が真っ赤にはれ上がってしまったサハラを、他の湯治客が見るに見かねて「あなたにはこの温泉は合わないようだから、近くの△■温泉へ行ってみれば」とアドバイスしてくれた。自分でも合わないと思いつつ無理して湯治を続けていたので、そのひと言はありがたかった。ここではダメだったけど、サハラのアトピーが良くなるかもしれない温泉が他にもある。そう思えるだけで良かった。

その夜、顔なじみになった同宿の湯治客と世間話をしていて、翌日から△■温泉へ行くことを伝えると、「アトピーなんか死ぬ病気じゃないのだから、どこの温泉でもいいじゃない」と言われた。

彼女の病気はガンだった。
この温泉の効能はたくさんあるが、ガンに効くという評判が特に高い温泉だった。そのため併設されている旅館はいつも満員で中々予約が取れない。山奥にある一軒宿の温泉なので、併設されている旅館に宿泊しなければ湯治は難しい。

サハラはそのことを行ってみて初めて知った。
彼女の言葉の背景には、「ここはあなたに合わない。合わないところにいつまでもいることはない。アトピーに効く温泉は他にもあるはず。だけどガンに効く温泉はここだけ。旅館の部屋数は限られている。だから部屋を空けて他の温泉へ行って。」ということがあった。

確かにアトピーは死なない病気である。
(アトピーが起因による感染症その他では死亡例もある。)
サハラはその彼女に向かって何も言えなかった。
彼女にはサハラのつらさが理解できないと思ったし、
サハラには、彼女が患っているガンに対する恐怖感を
想像することができなかったから。

人の気持ちは分からない。
悩みは人に話しても中々理解してもらえない。
自分にとっての大問題も、他人にとっては大した問題ではない。
誰かに悩みを話して問題が解消した気になるのは、
話を聞いてもらってすっきりしたり、
話をしたことで問題が整理されるからである。

相談相手に悩みは解決できない。
高名なカウンセラーに相談しても同じこと。悩みは自分で解決するしかない。
そのことを、サハラは幼い頃から理屈抜きに知っていたように思う。

なぜならサハラには、アナザサハラがいるから。
もうひとりのサハラともいうべき存在。
アナザサハラは、いつも高いところからサハラを見ている。
サハラが困ったとき、いつもシグナルをくれる。
「自分にウソをつかないように、自分をごまかさないように」と。

人の気持ちは分からないけれど、
モノゴトを俯瞰してみれば、ほとんどのことは大きく受け止められる。
誰に何を言われても大丈夫、そんな気がしている。

どんなことも俯瞰してみる。
そうすると、さざ波が立ってザワザワした気持ちもいつの間にか凪いでくる。
俯瞰をする変換機能がアナザサハラだ。
それは大きな光を放ってくれる宇宙基地でもある。
誰にでも、another-myself がついている。
サハラ * アトピー * 15:19 * comments(9) * trackbacks(0)

日記の効能 その2

2004.08.09 Monday

日記といえば、交換日記。
小学生のころ仲良しの女友達としたのが、最初の交換日記。
箱型で鍵つきタイプ、夢見る少女だった時代の秘密ってなんだったんだろな。
自分でも思い出せないけれど。

そして、すっかり大人になったサハラがしていた交換日記がある。
アトピーが最悪の状態だった頃、2週間に1度、とあるクリニックに通っていた。
同じアトピーの友人も甲府から3時間かけて通ってきてた。
2人とも体力が落ちていて、雨上がりには持っていた傘を杖がわりにして歩くほどだった。
ひとりだったら「今日は調子が悪いから」と、あの通院は続かなかったと思う。
「今日も調子は最悪だけど、クリニックに行けばCさんに会える。」そう思って、
痛む肌を洋服でくるんで、まるで命がけのような気持ちで通院していた。

不思議なことに2人が同時に悪化したり軽快することがなかった。
サハラが悪化するとCさんが良くなりサハラを励ます。
Cさんが良くなった直後に悪くなり精神的に落ち込む時と
サハラの調子がいい時がリンクして、サハラが励まし役になったり。。。

最初の頃は2人とも通院時間+診察時間だけで体力切れになり、
飛ぶようにして家に帰るしかなかった。
Cさんとゆっくり話したいのに肌が痛んでしまい
タイムオーバーになってしまう。
「地球での滞在時間が決められているウルトラマンみたいだね。
そろそろ胸のランプがピカピカし始めたから家に帰らなくちゃ」と、
今では笑い話のようなことを、2人で真剣に話してた。

サハラのアトピーは良くなったり悪くなったりで、良くなったかもと思うと、
一気に悪化することもあり、そんな時は「またか」と
崖から突き落とされたような気分になった。
一進一退というより、1歩進んで3歩戻る感じ。
「アガリ」のないすごろくをしているような迷路に入り込んでいた。

「これをすれば良くなる」という方程式はなく、何をしても良くならない、
そんな時期だったと思う。
2ヶ月が過ぎ、2人ともお茶を飲む時間くらいはキープできるようになった頃、
なんとなく「交換日記をしよう」ということになった。

当時はまだメールも一般的ではなかったから、
2週間に1度会う2人にとって山のように話したいことはあるのに、
自分たちの体力が続かず、いつも話が尻切れトンボで終わってしまっていた。
2週間、自分の生活記録を付けて次の通院時に交換する。
そして客観的にお互いの生活内容をみてアドバイスし合おう、
治療に役立てようということになった。
その日、2冊のノートを買いそれぞれの家路についた。

kokan-nikki
これがその交換日記のノート。

起床時間や食事の内容、お風呂の回数やその日の出来事など、
日々のこまごまとしたことが書いてある。
体調の細かい変化、精神的に落ち込んでいたかと思うと
妙〜に躁状態になっているのも、良くなった今ならその状態がよく分かる。

読み返してみると忘れていることも多く、
人間ツライことって記憶が定着しないのかも、と思った。
忘れる機能が脳にあるから人間は強いのかも、なんて思ったりも。

空気に触れていることさえ肌が痛かったあの頃、
ノートに書くことでいろんなことを消化させていたのだと思う。
自分を記録する、そして分析する、さらに自分を客観視する。

1年近くが経ち、交換日記が間遠くなった頃、
2人のアトピーが良くなっていたんだよなぁ。
サハラ * アトピー * 13:34 * comments(1) * trackbacks(0)

あたたかい無視、という思いやり

2004.08.05 Thursday

2004.5.31記

アトピーが顔など人目に付きやすいところに出ている人は
シンセツな人に声をかけられた経験があると思います。

「私ね、あなたを治してあげたいのよ」と。

それがたいてい、電車の中とか
スーパーのレジ待ちの時とか、銀行のベンチだったり。
とにかく人が多い場所で声をかけられることが多いのです。

多分そのシンセツな人は
見るに見かねてという気持ちから
ご自分の知っている治療方法や健康食品などを
人に薦めたいのだと思います。

だけど、アトピーはその病名が表すように
原因の分からない不思議な病気で
人それぞれに発症プロセスも治癒スピードも違うのです。

サハラはアトピーがひどい時は
とにかく『ほっといて欲しい』
『知らんぷりして欲しい』と心底そう思いました。

あたたかい無視、が何よりの思いやりだと感じていました。

皮膚科の待合室で、同じアトピーの人が隣に座っていても
『何かいい情報ありますか』と、中々聞けるものではありません。

サハラの経験で言えば、
病院に来るまでにたくさんの視線にさらされ
それだけで疲れきっているのです。

あの頃サハラは、『ワタシに声をかけないで、お願いだから・・・・。』
そういうオーラを発していたと思います。

サハラ * アトピー * 09:16 * comments(0) * trackbacks(0)